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有限会社 岩田自動車 岩田

タマレボアイコン 今の仕事を始めたきっかけは?店名の由来は?

結論から言いますと父の影響が一番大きいです。 親父は本当に苦労人ですよ。 荘川村で生まれた親父は、御母衣ダムの建設で故郷がダムの底に沈み、高山市に越してきたのが中学生のとき。 当時の経済状況や進学率から思えば普通のことだったとは思いますが、親父も高校には進学せず中卒で就職。
世はまさに高度成長期真っ只中。 これからは自動車が主役の時代になるという当時の僕の祖父の意向もあり、名古屋の整備工場にて整備士人生の第一歩を歩み始めました。 住み込みで月給何千円だったとか。 慣れない土地や人種、安い給料・・・相当な苦労を強いられたことと思います。
そんな名古屋で10年間過ごした親父は、25歳のときに帰郷。 高山市に戻ってからも地元の整備工場に就職。 時が流れ、29歳のときに当時市内で看護婦をしてた母ちゃんと出会い結婚。 そこで僕の兄貴が生まれたんですけどね。 これは今も昔も変わらないですが、整備士の賃金というものは本当に微々たるもので、相当生活も困窮し親父は途中で自動車整備の仕事を離れた時期があります。 嫁と子供の生活を守るための仕方がなかった判断だったとは思います。
整備士をやめるということ。 これが今の僕だったらどうだろうか・・・。
好きな仕事を辞める決断、その苦悩、創造もつきません。 家族を食わせるために背に腹は代えられなかったのです。 その後、親父は母ちゃんと幼い兄貴を連れて一家三人で長野県に移住することに。 後継者のいない農家と養子縁組をし、名前も岩田から変わることになったのです。 そこで話が終わってたら、僕も生まれてなかったでしょうし親父も今頃は農家でそこそこの地主になっていたでしょう。 でもやっぱ運命だったんでしょうね。
母ちゃんとその家のご主人やおかみさんとの折り合いが悪かったのと、当時3歳だった兄貴が何かに取り付かれたように泣いてばかりいる日々。 長野の生活も長くは続かず、再び高山に戻って名前も岩田に戻し、当時の母方の僕の祖父の計らいで再び整備工場に就職。 そのうちに僕も生まれ、現在の岩田自動車が平成7年に開業するまでその工場で18年間きっちり勤め上げました。

軽く親父の生い立ちや経歴を説明させていただきましたが・・・
はっきり言ってこれらがなかったら今の僕は存在していなかっただろうし、存在してたとしてもこの仕事には就いていなかったと思います。 これはもう断言してもいいですよ。 親父のルーツを語らずして今の僕は語れないってことです。 最近の言葉でいうなら「リスペクト」してるってやつですか(笑) 余談ですが、幼稚園や小学校、中学の卒業文集みたいなものに「将来の夢は何ですか?」って言う質問がよくあるじゃないですか。 その質問の答え・・・、僕はすべて「自動車整備士」とはっきり書いてありますからね。 親父になにを強いられたわけでもありません。 親父の背中からすべて学んだものです。 小さいころからの夢、それが片時もブレることなく現在に至ってるということは、僕の自慢できる仕事に対する誇りになっています。

僕が物心ついたときから、毎日毎日油で汚れ朝も早くから夜も遅くまで働く親父をずっと近くで見てきて、それがただ漠然と「カッコいい」と思って過ごしてきた少年時代。 その気持ちが「憧れ」にかわり、「将来の夢」として僕の中に確立するまでそんなに時間はかかりませんでした。 僕が高校在学中に親父が脱サラして夢だった自分の工場を開業。 開業したてのころは不眠不休で家族一丸となりかんばりましたよ。 でもまったく苦労とは思いませんでしたね。 むしろ楽しかった。 部活も辞めて、学校が終われば制服からツナギに着替えて夜中まで手伝う日々。 そりゃ勉強なんてしなくなったから試験の成績も一気に落ちましたよ(笑) 高校を卒業する時期になり、肝心な兄貴も家業は継がず高山から出ておりましたので、僕としてはそのまま岩田自動車に就職でもよかったのですけどね。 親父が「他人の飯を食って来い」とのことで県外に進学することになった僕。

「他人の飯を食う」
この言葉の意味は当時あまりわからなかったですけどね。 その後、整備の専門学校で勉強し、整備士の資格を取って岐阜市内の某ディーラーに就職。 新人時代なんて工具も握らせてもらえず洗車ばかりの日々でしたっけ。 もちろんいい先輩ばかりでもなく、ある先輩からは機嫌が悪いと工具や部品が飛んでくるのはもちろん、殴られ蹴られの制裁は日常茶飯事でした。 仕事でもたくさん失敗しましたよ。 オイル交換をしてはネジを締め忘れてオイルが垂れ流しとなって立ち往生させたり、事務所にきたお客さんから接客が悪いと激怒させ胸倉を捕まれたり、新車点検で預かった車で事故を起こしたり、リコール騒ぎで理不尽に因縁をつけられたり・・・挙げたらキリがないですがそれなりの苦い経験はさせてもらいました。 生活でももちろん一人暮らしだったから、食うものも住むところも全部自分で管理ですからね。 プライベートでもいろいろありましたよ。 たくさん恋愛もしたし、酒の席でもたくさん失敗しました。 二十代前半、そんな青春時代をいっぱいいっぱい悩みました。 でも地元じゃないから近くに家族や親しい友達がいなくてすべて自分で解決するしかなかったんです。 相当自立心が鍛えられましたね。 これが地元就職や、それこそいきなり岩田自動車で働いていたら・・・今の僕なんて天狗ですって。 何も出来ないくせに文句だけ達者・・・苦労知らずのボンボンって言われ、それこそ使い物にならない人間に成り下がっていたことだろうと思います。 進学で2年、就職で5年、この7年間飛騨から出ていた時期というのは、僕にとってかけがえのない財産となっているのは間違いない事実なのです。

僕にもいつか子供ができて進路を決める時期になったら必ず言うでしょうね。 「他人の飯をく食ってこい」って。





タマレボアイコン 仕事に対するポリシー、お店の特徴は?

そんな幼少期、成長期、修行期間とまさに車一色の人生を送ってきた僕です。 それが仕事になってますから、仕事とプライベートの線引きをはっきり引いてはいないですね。 でも公私混同という意味ではないですよ。 社員も現在総勢7名と一応普通の企業として成り立っており、そこで専務取締役という役職をもらい取り組んでおりますので、定時さえ過ぎたら会社なんて関係ないやっていうわけにはいきませんもんね。 都会とは違い、特にこういった交通機関の発達してないような地域では、車というのは生活の一部といいますかもはや体の一部でしょう。
お客様の生活形態や仕事内容では愛車も24時間普通に動ける状態でなければいけません。 そんなお客さまの愛車の不具合に対してすばやく対応が取れるよう、親父も僕も知らず知らずのうちに常に意識して生活を送っています。 かといって有名どころのロードサービスに来てもらうと、たとえバッテリー上がりやレッカー移動だけでも料金がバカ高いじゃないですか(笑) お客様に余計な負担をかけさせたくないですもんね。 自分がお客さんだったらどんな気持ちになるのだろうと常に逆の立場を想定して行動してるようにしてます。
うれしさや喜びのポイントは人それぞれ微妙に違うとは思いますが、単純に考えて自分がされてうれしいことは他人もうれしいはずだと思うからです。 サービス業ではありますが、技術や知識を売る商売です。 壊れた車を直す整備士、これは怪我や病気をした人を治すお医者さんと同じようなもの。 困ったときに頼りにされる立場でいなければいけません。 そのためには心と心の絆が不可欠ですよね。 ただ単に車を治してればいいというわけではダメです。 整備士なのだから車は直せてあたりまえ、同時に不安に満ちたお客さまの心も一緒に直して差し上げるのは当然の勤めなのです。 かといって偉ぶってはいけません。

「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」

はっきり言ってそんな気取ったお店は目指しておりませんから。 業務拡大などこれ以上商売を規模的に手広くすることも考えていません。 かといって今まま変わらないってことを言ってるわけではありませんよ。 自動車に関する技術は日進月歩、さらなるサービスの向上を目指すためにも新しいことはどんどん取り入れていきたいと思っています。 とにかく僕は現場が大好きです。 すべてのお客様一人一人と接することができ、そのお客様それぞれの車と携わって詳細を把握し、自分が責任を持って納めさせていただきたいですもんね。 お客様目線が大前提。 どなた様も気軽に頼れて通える、本当の意味での「町の車屋さん」をこれからも目指していきたいと思っております。




タマレボアイコン お客様と共有したいオモイは?

今の世代の人たちにとって、車というものはただの移動手段みたいな感じのものになってしまいましたよね。 思い返せば・・・僕の世代や、僕よりもっと上の世代の人にとって、車というものはある意味「男のステータス」だって風潮がありましたよ。 18歳になったら早く運転免許を取って、あんな車がいいこんな車がいいって友達と話したり雑誌を見たりして、自分の将来の愛車に思いを馳せていたもんですよね。 僕もそんな車が好きで好きでたまらない人種の一人でしたから。 いまだに年甲斐もなく愛車を改造しまくりで、親父に呆れられてますけどね。
ところが一向に回復の兆しが見えないこの景気。 世に送り出される車は次第に遊び心が消えていき、実用性重視でまったく面白みのない車ばかりになってしまいました。 よく「若者の車離れ」っていう言葉を聞きますが、これではそうなって当然のことだと思うんです。 現にこの数年の統計を見てると、全国的にも車の保有台数は年々減少傾向にあります。 幸い飛騨地域は交通の便が発達してない分、まだまだ車社会ですのでそこまで深刻な状況ではないですが、いずれはその波に飲まれることでしょう。 物事なんでもそうですが、「好き」とか「楽しい」って思えなきゃ、向上はもちろん継続だって無理な話なのです。 そこをどう食い止めたらいいのか・・・やはり「若者の車離れ」を何とかすることも大切なのかなと最近よく思うのです。 時代の流行の先端を行く若者こそが未来の鍵を握っているといっても過言ではありません。 車は楽しいものなんだよって、車でこれだけ人に感動が与えられるんだよって、教えていくのも我ら整備業界の責務なのではないのでしょうか。 この飛騨の若者もそうですが、いくら車離れをしたといっても道行く車を見てると自分なりにいじったりして楽しんでる方々もよく見かけるのも事実です。 そんな人たちに交流の場を作ったらどうだろうか・・・と、実は思いつきで始めたことがあるんですけどね。

これは余談ですけど、数年前からそんな飛騨の車が好きな若者を集めて毎月1回ミーティングみたいなことを始めたんですよ。 ミーティングって言っても特に何をするわけでもありません。 自慢の愛車を並べて、ただしゃべるってだけのものです。 会の名前は「飛騨國☆車好きの集い」とそのまんまですけどね。 最初は数台でしたが、回数を重ねるたびに口コミで噂が広がり、最近では平均で毎月50台オーバーの参加者に膨れ上がってきています。 狙いは的中しました。 時代がどんなだって、男の子の車好きな気持ちは今も昔も変わらないってことです。 現代の面白みのない車だって、自分オリジナル仕様になれば十分に楽しくなる要素は持っているのです。 この集会は若者が中心ですが、40代50代の方も遊びに来てくださってますよ。 毎月第一土曜日21時より古川の道に駅にてやってますので興味のある方はぜひ遊びに来てくださいね。 えーっと・・・ちょっと話が脱線したようですみません。 でもあながちこの話も遠からずですよ。

「好きこそ物の上手なれ」

「車はただの生活手段」と言う概念に「車は楽しむもの」という考えも融合させるべく、お客様と一緒に楽しみながらカーライフを過ごせれたらなと思っています。




タマレボアイコン 最後に、ひだラボへの期待、読者へのメッセージを。

昨今では人々の情報流通手段も目まぐるしく変化をとげましたよね。 大昔では手紙でやり取りしてたのが、電話が発明され、今では携帯電話も一人一台は当たり前の時代。 そんな携帯電話も、話す機能だけだったのがメールが送信できてインターネットまで繋がり、現在の人には欠かせない重要な情報収集のツールとなっています。 パソコンにしろ携帯電話にしろ、もはやインターネットは日常生活の中に当たり前にあるのです。
そんな中、インターネット利用者増えるのと同時に普及して注目されてるのが、フェイスブックやミクシィに代表されるようなSNSの存在。 僕も利用してますが、ほとんどの若者が何かしらに登録し利用してるのは事実のこと。 そんな交流サイトから日々いろんな人のつながりが生まれているのです。
今若者って常に携帯電話をピコピコかまってるでしょ(笑) 意思疎通の仕方やコミュニケーションのとり方も時代によって変化をしてきたのも、良いか悪いかは別として受け入れなければいけないことなのです。 事実の話、僕もSNSサイトを利用暦は長いですが、これまでにたくさんの出会いがあって友だちも増えました。
そんな友達が増えていくにつれ、まったく予期してなかったのが・・・そこから岩田自動車を利用してくれるようになっていったということ。
これはありえないことではないでしょうが、まったく期待はしていなかったんですよ。 だって仕事とプライベートは別物だって固定概念がありましたから。 SNSサイト上でいろんなつぶやきや日記を書くことによって、そこにコメントが寄せられ、それにまたレスをし、そんなやりとりが続くうちに会ったことがなくても「情」というものは生まれるものなんです。 実際に面と向かって話せないことでも、サイト上なら何だって表現ができる。 僕みたいな口下手な人間にとっても心の中身がそのまま伝えられるんですよ。 それはかつて先人が使ってた「手紙」一緒のこと。 これが現代となり、直筆が画面上に変わっただけのことなのでしょう。 やっぱ言葉より文面や写真を直接見せた方が、伝わりやすいことのほうが多いのです。
そんな僕とネット上で友達になり交流が深まった結果・・・
「そういえば車屋さんでしたよね?そろそろ車検なんですけどお願いしてみようかしら」
・・・みたいな風に頼まれることが最近になって増えてきてるのです。 あくまでもサイト上で岩田自動車の宣伝なんてしてないですからね。 そりゃたまに仕事の風景を写真やつぶやきで残すことはあっても、意図的に勧誘なんてしてことないですから。 これは「会社」にってことではなく、「僕個人」を頼っていただいたということに他なりません。 飛騨だけではなく県外の方からも仕事をいただくという風にまで発展してきましたよ。 地元の整備工場ではなく、あえて何百キロも離れた飛騨の整備工場に愛車を預けていただくということ・・・相当の心のつながりが生まれていなければありえないことですよね。

そんなときに、このひだラボとの出会い・・・

はっきり言ってこの話を聞いたとき鳥肌が立ちましたよ。
そんな人と人との心をつなげるSNSサイトと企業広告ページが融合したようなものが飛騨限定で出来るってそんな聞いたことないよって。 今までに数々のSNSサイトを渡り歩いてきましたが、過去にこういったものはなかったですからね。
これはまさに鬼に金棒、水を得た魚です。
ただの広告だけならその辺に落ちてる石ころと同様であまり見向きもされないでしょう。 それが僕個人を知ってもらうにつれ、こういった仕事に関する話を訪ねられたときにすんなりと違和感なく相手の心に入り込むことができるじゃないですか。 僕の仕事についても気軽に知ってもらいやすくなること間違いないです。 それに飛騨限定という地域密着思考がうれしすぎます。
これは使い方しだいだとは思いますけど、この飛騨において人事交流や経済発展のとてつもない起爆剤になると確信しています。
いろんなSNSサイトやブログサイトを実際に利用し数々の出会いを経験してきた僕が自信を持ってこのひだラボに太鼓判を押しますよ。 来年の今頃には誰もが「ひだラボ」っていう言葉を知ってるんじゃないですか。 ただシステム的にまだまだ改良の余地があると思うのも事実。 そこは運営者さん側にもいろいろがんばっていただき、利用者共々手を取り合い情報を交換しながらもっともっと利用しやすいように、このひだラボを飛騨のみなさん全員で楽しみながら作り上げ、有効に活用していけたらなと思っています。







有限会社 岩田自動車 【高山市】
〒506-0001岐阜県高山市冬頭町70
有限会社 岩田自動車 専務取締役
岩田 久宗   iwata hisamune

プロフィール
1978年2月6日生まれ 34歳(2012年9月現在)
1996年3月 岐阜県立高山工業高等学校電子機械科 卒業
1998年3月 三菱自動車整備専門学校 卒業
1998年4月 岐阜三菱自動車販売株式会社 就職(本社勤務)
2003年3月 岐阜三菱自動車販売株式会社 退社
2003年4月 有限会社岩田自動車 入社
2009年7月21日 有限会社岩田自動車 取締役就任

<所持資格>
自動車整備士/自動車検査員/自動車整備技術スーパーアドバイザー/低電圧取扱者/ 損害保険取扱者普通級/フォークリフト運転技能/アーク溶接/ガス溶接 /玉がけ技能/ 車両系建設機械検査業所属検査者/第2種電気工事士/アマチュア無線技師4級/危険物取扱者丙種/ 普通自動車運転免許/大型自動車運転免許/大型特殊自動車運転免許/普通自動二輪運転免許
<趣味>
映画鑑賞/車いじり/バイクでツーリング/B級グルメの食べ歩き